2016年に競輪選手としてデビューし、わずか1年でS級に特別昇級した竹内翼選手(109期)。

競輪選手になる前は、地元広島のサッカー名門・広島観音高校で全国高校サッカー選手権ベスト8、U-18日本代表候補としてトレーニングキャンプに参加し、当時J2リーグのファジアーノ岡山へ高卒で入団。“プロサッカー選手”としてキャリアをスタートさせました。

しかし、トップチームでの出場数はゼロ。厳しい競争のなかで1度心が折れたという竹内選手は、なぜ競輪の世界へ飛び込んだのか。

そして、“競輪”という競技の世界で何を感じたのか。

前後編でお届けするインタビューの前編です。

まるで夢を見ているみたいだった

Q:子どもの頃から、プロサッカー選手を目指していましたか?

兄の影響でサッカーを始めて、小学3年生から地元の少年団に入りました。実は自分の名前も「キャプテン翼」から名付けられているんです(笑)。

地元の広島にはサンフレッチェ広島というプロクラブがあったので、試合を見に行くなどはしていました。当時から「なりたい」気持ちはありましたが、年齢を重ねるにつれて、「簡単になれるものではない」とは思っていました。

Q:高校は地元の強豪校、広島観音高校へ進学されます。選んだ理由は何だったのでしょうか。

多くの推薦をいただき、広島県内の高校であればほぼどこでも行けるような状況でした。観音高校の練習に参加した時に、雰囲気がすごく良くて。その時の高校3年生がインターハイで優勝した代でもあり、「ここに行きたい」と思いました。

強豪校なので練習は毎日あると思っていたら、平日は週3日しか練習がなくて。練習がない間の時間は「勉強もちゃんとしろ」「デートをしてもいい」と“自分で考えて時間を使え”という方針でした。時間の使い方や切り替えは競輪選手になった今でも大切な要素ですが、この時の経験は大きかったと思います。

インタビュー, 転向選手, 竹内翼,

Q:どのあたりからプロサッカー選手を意識し始めたんでしょうか?

もともと高校3年生の夏までは、高校でサッカーを辞めるつもりでした。大学からも推薦の声をかけていただき練習参加もしましたが、実は建物が好きで、もともと建築士になりたいという夢もありました。なので、建築系の学科がある学校へ進学しようとしていたんです。

ただ、9月からの高円宮杯、全国大会と活躍できて、当時J2 だったファジアーノ岡山の練習会に呼ばれました。4日間の練習の最終日にスタッフの方から「獲るから」と言っていただいて。そこから親とも話しました。親も「人生は1回きりだし、プロが終わってからでも建築士は目指せる」と言ってくれて、最終的にプロサッカー選手の道を進むことになりました。

Q:ということは、ご自身としては夢が叶ったというよりも、急にプロになれた、という感覚だったのでしょうか。

本当に急に訪れた転機でした。「獲る」と言われて、「これでプロになれるんだ」と思ったまま、夢の中にいるような感覚というか……。チームに入ると、テレビで見たことのある選手がいる……みたいな。

今振り返ると、その時点で気持ちがプロの世界に入りきれていなかったのかもしれません。やっぱり周りはプロを目指してずっとやってきた人たちばかりでしたし。その差が4年間の結果にも表れたのかなと思います。

ケガも重なり、心が折れた瞬間

Q:プロ入り後、なかなか出場できない期間はどのように受け止めていましたか。

苦しかったです。4年間ずっと苦しかった。当時はトップチームではなく、ファジアーノ岡山ネクストという地域リーグに所属する育成チームで戦っていました。J2から見ると2つ下のアマチュアカテゴリーで。プロの世界に入ったはずなのに、自分はプロサッカー選手なのかどうかもはっきり言えない状況はやはり難しかったですね。

Q:4年で退団となりましたが、どういった経緯でサッカー選手を辞める決断をしたのでしょうか。

入団時に3年契約をいただいて、21歳の時にさらに2年延長すると言われました。ただ、この2年をもらっても、自分自身が変わらなければ何も変わらないと思い、契約を1年にしてもらいました。自分を追い込むためにも。

シーズン前に1次合宿があり、次の2次合宿に行けるのはトップチームだけ。そこに向けてメンタルを作り、結果も出して、トップチームに帯同できたんですが、そこでケガをしてしまって……。痛み止めを4〜5錠飲んで、足首をぐるぐる巻きにして出ましたが、全然動けませんでした。合宿が終わると同時にトップチームからは外れてしまいました。

インタビュー, 転向選手, 竹内翼,

Q:なかなか受け入れがたいケガだったかと思います。

正直、心が折れた瞬間ではありました。その後の1年はそれなりに頑張っていましたが、自分の気持ちはもう別の方向へ向いていたと思います。1年が経って契約満了を告げられ「他のチームを探そうか」と言われた時に、「もうやりたいことがあるので探さなくていいです」と伝えました。その時には、競輪へ向かう気持ちが大きくなっていて、自分の中では踏ん切りがついていました。

Q:その時点で競輪選手を目指す意思があったんですね。どんな形で競輪の存在を知ったのでしょうか。

最後の1年は、もうサッカーを辞めるだろうなという感覚があり、第2の職業を探していました。消防士なども見ていましたが、どれも違うなと思っていました。そこで、サッカー選手のセカンドキャリアを調べている中に競輪選手があり、「こういう道もあるんだ」と知りました。

もう1度勝負の世界で、見返したい

Q:競輪選手になる方法は、最初からわかりましたか?

正直まったくわかりませんでした(笑)。本当にたまたまですが知り合いを通じて、サッカー選手から競輪選手になった河野淳吾さん(神奈川/99期)を紹介してもらい、話を聞かせていただきました。河野さんは26歳頃にサッカーを引退されて転向していたので、当時22歳だった自分も「まだいける」という感覚はありましたね。

Q:競輪選手になると決めた時、周囲の反応はいかがでしたか?

父は「自分の好きな道に進め」と言ってくれました。母は心配していましたね。母からすれば「競輪もよくわからないし、せっかく今までサッカーやってきたんだから、企業チームでサッカーを続けながら仕事すればいいじゃない」と。

ただ、自分としてはまだ勝負の世界にいたかったんです。正直サッカーもまだできると思っていましたし、22歳で体もまだ衰えていない。脚を使って戦いたいと思った時に、競輪は誰でも目指せる競技。サラリーマンからなる人もいるし、学校の先生や他競技から来る人もいる。それがすごく魅力的でした。

インタビュー, 転向選手, 竹内翼,

サッカーで抱いた不完全燃焼の気持ちをぶつけたいと思ったんです。ちょうど大学に進学した同級生は就職して社会人1年目になる時期で、みんな爽やかに新生活に期待していて。一方、自分は地元に帰って、なれるかどうかもわからない競輪選手を目指すアマチュアになる。周りは応援してくれましたが、「本当にできるの?」と思っていたと思います。そこへの反骨心はありました。絶対に活躍して見返してやると、悔しい気持ちが強かったですね。

縁に恵まれた師匠との出会い

Q:競輪選手を目指すと決めて、最初は何から取り組みましたか。

まず愛好会に電話しました。契約満了後、12月と1月は引っ越しなどがあり、2月の途中から愛好会に通い始めました。2月、3月、4月は師匠もいない状態で、とりあえずウエイトをしたり、パワーマックスの練習をしたりしていました。練習方法もわからず、愛好会で聞いたことを続けるような形で。

4月ごろに「本当に競輪選手になれるのかな」という不安もあって、当時の愛好会指導員の方に「練習を見てほしい」と連絡しました。その2回目の時に、師匠となる吉本哲郎さん(広島/84期)が通りかかって「練習見ちゃるよ。師匠になるわ」と言ってくださったんです。それが5月の終わりごろで、6月から本格的に自転車に乗り始めました。

インタビュー, 転向選手, 竹内翼,

Q:サッカー選手になる時もそうでしたがタイミングよく縁に巡り合いますね。

タイミングは突然来るというか、たまたま通りかかった吉本さんが練習を見てくれて、「一緒にやろう」と言ってくれたのは……本当に人に恵まれています。

吉本さんは練習方法や感覚がすごく独特で、他県からも指導を受けに選手が来るような方でした。最初に「BMXでコーナーを走っとき。自転車を倒す感覚がわかりやすいから」と言われて。周りでは同じ時期に始めた人たちがすでに競輪用の自転車に乗っていたので内心「大丈夫かな」と(笑)。

でも2週間後に普通に競輪用の自転車に乗ったら、バンクに乗れるようになっていて、2か月後には養成所に合格するための基準タイムが出ました。競輪の練習方法すら知らなかった自分にとっては「この人はすごい。言うことを聞いていれば選手になれる」と正直に思いましたね。

Q:受験までの期間で不安だったことは何ですか。

タイムが出て調子が上がっていても、本当に受かるかはわからない。「何も決まっていない」という状態がすごくしんどかったですね。もし落ちたらこの生活をもう1年続けられるのかと考えると、寝られない時期もありました。ふと携帯で違う職業を調べることもありました。

また、最初は適性試験で受けるつもりでしたが、タイムが出たので技能試験で受けることになりました。ただあくまで素人なので、タイムが出る時もあれば急に出なくなる時もあって……。試験の1週間前に、200mで基準を切れるタイム(11.5秒)が出ていたのに、急に12秒フラットくらいしか出なくなったことがありました。そこは他の選手に見てもらってまたタイムが出るようになりましたが、調子が安定しないことでメンタルが揺れるのは大きかったですね。

インタビュー, 転向選手, 竹内翼,

無事競輪学校へ入学し、プロデビュー。

その後、勝負の世界で改めて感じたこととは。

後編へ続きます。

PHOTO GALLERY