112期として2017年にデビューし、結婚や出産を経て活躍を続ける大久保花梨選手。
競輪との出会い、産休から戦いの舞台に戻るまでのストーリー、そして母になった今だからこそ感じる競輪の魅力を伺いました。

前後編でお届けするインタビューの前編です。

柔道、ラグビーを経て自転車の名門へ

Q:まずは、自転車を始めたきっかけから聞かせてください。もともとなにかスポーツはされていたんでしょうか?

物心ついた頃から、父親の影響で柔道をしていました。中学生からは、ラグビーをやっていた弟の影響でラグビーの道へ。幼少期から常に体を動かしていましたね。

高校進学先を迷っていたタイミングで、「ガールズケイリン」が新たに始まることを知った両親が、福岡県久留米市のにある自転車競技の名門校・祐誠高等学校を勧めてくれました。

祐誠の自転車競技部を志すようになってからは、久留米競輪場で練習させていただくようになりました。

競輪街道まっしぐらで養成所へ

Q:高校の時からプロを目指すと決めていたのですか?

大学進学を考えた時期もありましたが、間近にいた小林優香選手や児玉碧衣選手(ともに久留米競輪場がホームバンク)の影響もあり、気がつけば自然とその道を目指していました。プロになって活躍されている姿を見て、格好いいなって。

高校時代は500mTTや短距離種目をやっていたので、高校卒業のタイミングで、技能試験で入所しました。

切磋琢磨する同期との出会い

Q:入所してからの生活はどうでしたか?

厳しかったですし、キツかったです(笑)。ずっと自転車に乗り続ける、ストイックな日々という感じでした。

それから、太田りゆ選手や梅川風子選手をはじめ、同期にすごく強い選手が揃っていたんです。特に、太田りゆ選手もそうでしたが、適性試験で入所した選手たち、つまり自転車をやってきていない人のポテンシャルに圧倒されたこともありました。

Q:養成所時代で印象に残っていることはありますか?

私たちの代から、世界での活躍が見込まれた選手だけが選ばれる「HPD(ハイパフォーマンスディビジョン)」というトレーニンググループが誕生して、選ばれたのは太田りゆ選手と梅川風子選手でした。

その2人は候補生とは別メニューになることがあって、私たちは冬の寒い屋外を走っている中、室内にいられるのが羨ましいなって思っていました(笑)。

Q:そのハングリー精神からか、最終的には在所成績は1位でしたよね。

タイムはそれほど出せなかったですが、競走では走れている印象はありました。ただ、HPDの2人とは走っている本数自体が違ったことも大きく影響している*と思います。
本当に周りは強い選手ばかりでしたが、その経験があるから今があると思っています。いまだに同期とご飯に行ったりしますし、すごく仲良しです。

※在所成績は、1着回数で順位づけがされる。

Q:在所中、特に仲が良かったのは?

梅川風子選手と吉村早耶香選手ですね。
日曜日は外出もせず、お菓子を食べながらグダグダと過ごしていました(笑)。訓練で疲れきっていたので、それが至福の時間でしたね。

夢に描いたデビューと挫折

Q:プロデビューは2017年。デビューにあたって、活躍できるという手応えはありましたか?

いえ、同期も強かったですし、何よりも久留米の先輩方が凄すぎて……環境が良いのか悪いのか、1度も安心したことはなかったです。

それもあって、プロに成り立ての頃は、毎回とても緊張していました。1戦1戦、負けたらすごく悔しがっていたのも覚えています。
デビュー戦の決勝では落車したり、斡旋停止があったり、周りより少し波瀾万丈な選手人生を歩んでいるかなと。

Q:そういった厳しい環境の中で、何がモチベーションとなったのでしょうか?

最初は正直、お金でした。優勝して賞金ボードを掲げている姿を見ると、夢がある世界だなと思いますよね。でも私の場合、途中から賞金よりも純粋に勝ちたいという気持ちが強くなっていきました。

最初は何も分からず真っ直ぐ走ることに必死だったのですが、2020年くらいからは自分の中でどう走れば良いのかが分かってきて、メンタルのコントロールもうまくなったように思います。

生きていて楽しいと思える道を

Q:実際、2020年頃には大舞台でも結果を残されていますが、一方でその年にはご結婚、2023年にご出産されました。ご自身のライフプランは元々どのように描かれていたのでしょうか?

何歳で結婚して、何歳で子供を産みたいとか、具体的なことは何も決めていなかったんです。いい人がいれば結婚を考えるけど、別に結婚しなくてもいいみたいな風に考えていて。

でも、自分のことを分かってくれて、競輪に対する理解もあるパートナーと出会えたことで結婚を選びました。

Q:結婚後、競技生活に変化はありましたか?

夫も私もお互いに干渉しないタイプだったので、変わらず自由に過ごすことができました。でも子供ができてからは、夫婦の協力が必要不可欠だったなと思います。

Q:子供ができたことで、選手として休まないといけない期間が発生することに葛藤はありましたか?

授かりものなので、不安やマイナスな気持ちは特になかったです。しっかり子供を育てていきながら、自分の仕事も頑張っていこうという意識でした。
選手としてもちろんグランプリは目指したいですが、それよりも自分が生きていて楽しいと思える道を選びたかった。楽しみやワクワクの方が大きかったです。

産休から戦いの舞台に戻るまでのストーリーを語っていただいた後編は、近日公開予定です!