サッカー選手として心が折れた先にあった競輪選手への道。竹内翼選手インタビュー「もう1度勝負の世界へ」後編
2016年に競輪選手としてデビューし、わずか1年でS級に特別昇級した竹内翼選手(109期)。
プロサッカー選手で挫折を経験し、もう1度勝負の世界で競いたいと競輪選手を志した竹内選手。
養成所を経て、競輪選手となりS級で長くしのぎを削ってきた竹内選手が改めて、競輪という競技に感じることとは。
前後編でお届けするインタビューの後編です。
前編はこちら。
厳しい練習を経て、養成所へ
Q:養成所に入った時、周りの候補生にはどんな印象を受けましたか。
正直ビビっていました(笑)。みんな強く見えましたね。同期の8割くらいは自転車競技出身で、高校インターハイや大学の全国大会の話をされてもピンとこないのですが「すごい人たちなんだろうな」と思っていました。
Q:養成所での練習は苦労しましたか?
養成所に合格してから、師匠の吉本さんから「1か月で4000km乗ってこい」と言われました。ローラーは数えず、外だけで4000kmです。計算すると、ほぼ毎日200km近く乗らないといけなくて(笑)。
しかも初日が雨でした。「乗れないじゃん」と思ったのですが、同じ条件の弟子たちと相談して、呉にあるトンネルで往復練習をしました。2kmくらいのトンネルを50往復くらいしたのかな?養成所の練習も大変でしたが、その前の練習の方がよほどきつかったので、問題ありませんでした。

Q:養成所の卒業時の順位は50人中42位でしたが、ご自身ではどう感じていましたか?
順位だけを上げようと思えば、レース中に動かずに最後だけ捲りにいく走りもできたと思います。でも僕は先行を頑張りたかったんです。とにかく前に出ていく形で走っていたので、上位に残る時もあれば残らない時もありました。その結果、順位は下の方になりましたね。
Q:なぜ先行にこだわったのでしょうか。
1番自分の存在をアピールできますから(笑)。サッカーでもフォワードをやっていて、点を決めて目立ちたいタイプだったのかもしれません。
それに、いろいろな人にお世話になってきたので、恩返ししたい思いもあります。先行して、ラインで1・2・3が決まるのが1番の恩返しだと思っているので、そこはこだわっていますね。
自分の力を発揮できる場所がある喜び
Q:いざ競輪選手としてデビューする時の気持ちはどんなものでしたか?
ここからスタートだと思っていましたね。競輪選手になったから終わりではなく、そこからが始まりだと。
サッカーでは監督の戦術や相性もあり、試合があっても出られないことがあります。でも競輪は、月に2回は必ず走れるんです。自分にレースが与えられている、出場する機会があることがすごく嬉しくて。練習してきたことを出せる場所がある。それが1番大きな感情でした。
Q:デビュー戦では完全優勝されました。どんな感情でしたか。
家族にも心配をかけていましたし、友達も見に来てくれていました。そこで優勝できたことで、「競輪に進んだことは正解だった」と周りに認めてもらえたんじゃないかと。それが1番でしたね。

Q:競輪選手としてレースを重ねるなかで、ファンの声援や反応はどのように感じましたか。
競輪は自分にお金を賭けてもらう競技です。サッカーは基本的に、ファンの方々はチームや選手が好きで無条件に応援してくれる面があります。
競輪では昨日すごく褒めてくれたファンが、今日はとても厳しい言葉を投げてくることもあります。でも、お金を賭けて自分を信じてもらっている以上、そういう言葉は当たり前だと思っています。何とか期待に応えられるように走らなければという責任感がありますね。
“ライン”の大切さ、競輪の面白さ
Q:デビューから約1年でS級に昇級しました。A級とS級で感じた違いは何でしたか。
巡り合わせも良く、トントン拍子で上がることができました。S級デビュー戦では決勝まで上がれましたが、そこから対策も立てられるようになり、うまくいかない時期が続きました。
A級では自分だけのスピードやパワーで何とかできる感覚がありました。でもS級では、みんながスピードもパワーもあり、技術も高い。自分ひとりの走りだけでは勝つことはできなくて、S級ではライン戦がどれだけ大事かを感じさせてもらいました。

Q:S級で印象に残っているレースはありますか。
やはりS級で初優勝したレースですかね。久留米競輪場の決勝で、当時短期登録制度で来日していたジョセフ・トゥルーマンとマシュー・グレーツァーという、当時の世界トップクラスのスプリンターと当たりました。人気は当然その2人で、僕は新人に近い立場で逃げる形でした。後ろの選手が番手の役割をしっかり果たしてくれて、優勝することができました。
その時に、自分ひとりの力ではなく、競輪の面白さ、ラインの力はすごいと改めて感じました。世界チャンピオン級の選手たちに、競輪は力だけでは勝てないと感じさせることができたんじゃないかと印象深く残っています。
セカンドキャリアとしての競輪
Q:サッカーを辞めて競輪選手になり、生活や将来設計はどう変わりましたか。
サッカーの時は、将来のことは全然見えていませんでした。年俸は生活には問題ない程度でしたが、将来を見据える状態ではありませんでした。競輪で僕がデビューした時は賞金が低い時代だったと思いますが、それでも「こんなにもらっていいのか」と思いました。そこから、人生設計ができるようになりました。
Q:プロスポーツ選手になった実感は、競輪選手の方が強かったですか。
サッカー選手としての収入があった状態から、収入がゼロになる経験をしているので、お金をもらうことの重みは感じていました。もともと堅実な金銭感覚ではありますが、いまでも収入がなくなるかわからないという感覚は常にあります。
1番「スポーツ選手になったな」と思ったのは、欲しかった時計を買った時です。テレビでスポーツ選手がつけているイメージがあり、それを買えた時は、正直「プロスポーツ選手になった」と感じましたね(笑)。

Q:サッカー選手と競輪選手を職業として比べた時、1番大きな違いは何でしょうか。
現役の長さだと思います。サッカー選手の新人講習で言われたのが「ここにいる選手は3年後には4分の1しか残らない」という事実でした。それくらい移り変わりのある厳しい世界だったので。
なのでセカンドキャリアとして競輪はありだと思います。長くできるし、自分の力を試せる。サッカーは若くして契約を切られることも多いので、20代であればそこから取り戻せる競技だと思いますね。
競輪を目指すうえで必要な覚悟
Q:他競技を引退したアスリートが競輪を目指すうえで、1番必要な覚悟は何でしょうか。
家族の同意だと思います。現実的な問題として選手を目指している間は収入がゼロになります。僕は親に「この1年頑張るから、いろいろな面で支えてほしい。お金も援助してほしい」と正直に伝えました。家庭がある人であれば、奥さんが働いてくれるなど、家族の理解がないと生活できません。最低でも2年近く無収入になる可能性がある。その覚悟を持って踏み切れるかどうかです。
Q:もう1度勝負の世界で戦いたい人に、競輪の魅力を伝えるとしたら何でしょうか。
自分自身が戦える舞台が必ずあることです。僕はサッカーから競輪に移る間、引越しや準備などで2か月ほど何もできない時期がありました。その時、自分の存在価値がないように感じたんです。社会に何も必要とされていないような感覚でした。
アマチュアとして競輪の練習を始めて、苦しいことに取り組むことで、生きている実感がすごく湧きました。

もちろん競輪のレースは危険もあります。だからこそ、走り終わった時に「生きているな」と思います。サッカーで点を取った時は「サッカーをやっていて良かった」くらいの感覚でしたが、競輪では自分の人生そのものを競技に乗せている感覚があります。これは他の競技ではなかなか味わえないと思います。
Q:最後に、競輪を目指す人たちへメッセージをお願いします。
自分もよくサッカーのつながりで相談されることがあります。メリットもデメリットもすべて伝えて判断してもらうようにしています。やはり収入面の魅力は大きいですし、デビュー当初から1000万円を超える可能性もありますし、長くできて、良い生活もできます。ただ、ケガなどリスクも当然ありますから。スポーツとはいえ、生活していかなければいけないことを考えると、職業としての魅力は大きいです。
自分はこの道を選んで正解だったと思っています。今は家族もでき、生活もできています。もちろん、最終的には引退した時にどう思うかだと思います。苦しい場面もあるし、メンタルも左右されます。それでも、生きている実感を与えてくれる競技です。僕は正解の道を進んでいると思っています。
