2008年に競輪選手としてデビュー、2011年にS級に昇級後長く一線で活躍し続け、2024年『全日本選抜競輪』では初のG1レース決勝進出を果たした松谷秀幸選手。

日本競輪選手養成所に入所、ヤクルトスワローズ入団時と同じく周りの候補生たちのレベルに驚いたという松谷選手。そこからどのようにして這い上がっていったのか、そしてその原点にあるものとは。

前後編でお届けするインタビューの後編です。

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「もうクビになりたくない」

Q:プロ野球の時とは異なり、周りのレベルに驚愕しながらも養成所で踏ん張れたのはなにが原因だったのでしょうか?

「もうクビになりたくない」という思いですね。
いまは敵わないかもしれないけど、この1年でなんとか自転車に慣れて、養成所を出てからが勝負だって。必死に練習しました。

Q:一度どん底を経験している、という強みは大きいかもしれないですね。

そうですね。プロでの経験もあるし、高速道路のバイトはもうしたくない、もうあの頃には戻りたくないって。苦しい時期を経験したからこそ頑張れたし、頑張らなきゃって気持ちになりました。レースに行く時に、高速道路でバイトをしている人を見ると、今でも涙が出そうになります。

Q:最終的な在校順位でいうと、最後17位という成績での卒業となりました。

練習のタイムは全然出ていなかったのですが、競走では走ることができました。
相手の心理を読んだりする部分で、野球での経験がすごく役立ちました。ピッチャーでも、このバッターなにを待ってるかとかは考えたりするので。野球やっててよかったなって思いました。

Q:フィジカル面よりも、プロの勝負師としての経験が有利に働いた?

そうですね。むしろフィジカル面では、そこまでアドバンテージを感じませんでした(笑)。

プロ野球戦力外からのリスタート。松谷選手インタビュー「あのとき味わった恐怖心が原点」

Q:野球選手はフィジカルエリートのイメージが強くありますけどね。

競輪選手と比べたら全然です。野球の練習していて吐くことってなかったですからね。自転車の練習で初めて経験しました。
タイムとして自分の頑張りが如実に出るので、自分の追い込み方という意味では全然違うと思います。

Q:そのほか、養成所での生活で印象に残っていることはありますか?

売店でお菓子やアイスを買えるんですけど、自分は節約のために買わなかったんです。日曜日は外出もできたんですが、お金を使いたくなかったのでほぼ外出もしなかった。
若い子が売店で買っているのを、「あいつらアイスクリーム食べてるよ」と思いながら見ていたことを覚えていますね(笑)。

卒業してからの3ヶ月が勝負

Q:プロになれるという手応えは?

これだけ乗っているのにぜんぜん追いつかないな、と焦りはありました。
とくに深谷はすごかったので、年下ではありますが、なんとか技術を盗んで自分のものにしてやろうと必死でした。

Q:とはいえ、プロとしてのデビュー戦で初勝利を記録して、3年でS級にもあがるなどすぐに活躍をしています。

師匠の佐々木さんから、「卒業してからの3ヶ月がものすごく大事」と言われていたんです。1年間の養成所生活を終えて卒業すると、開放感から練習量が減ってしまう人もいる。だから、その期間で差を埋めてやるんだ、とめちゃくちゃ練習しました。ここが分かれ道だなって。

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師匠について、休みなく乗り込んでいましたね。結果的にデビュー戦で勝つことができて、このままもっと頑張っていけば勝てるかもって自信につながった思った瞬間でした。

Q:その後も、S級をキープし続けて第一線で戦い続けています。卒業後の3か月間で頑張れたこと、そしてそこからも努力を続けられていることはどういったモチベーションなんでしょうか?

やっぱり、プロでクビになったこと、そしてその後の高速道路のバイトのことがいつでも頭をよぎるんです。なまけたらクビになってしまう、ダメになってしまうんじゃないかという恐怖心がすべての原点にありますね。
だから卒業後の3か月間も必死に追い込めたし、その後も、たとえば怪我している時もやれることはやる。もちろん気持ちの上下はありますが、その恐怖心を糧に頑張ることができていると思います。

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競輪の世界は、常にチャンスがある

Q:野球選手からの転身は、有利に働くと思いますか?

野球に限らないかもしれませんが、有利に働くと思います。言ってみれば、野球で成功してないからこそ、再びチャレンジをしにくるわけじゃないですか。もう1回頑張れる場所があるっていうのは、すごくありがたいこと。だからこそ、強い気持ちで臨めるというのは間違いなくあると思います。

そういう気持ちで野球をやっていればって話だとは思うんですが(笑)。

Q:いま42歳。同世代のプロ野球選手はほとんどいないと思います。

そうですよね。同期入団の選手たちはみんな辞めちゃいましたね。
35、6で引退する人も多いですが、自分はまだ先も考えられます。そういう意味でも、やっぱり競輪選手になってよかったと思います。

プロ野球の世界で頑張っている選手の活躍、特に同期の選手の活躍は「いいなぁ」と思って見ていました。野球選手として頑張っている彼らに、少しでも近づきたいというのも大きなモチベーションでしたね。「あいつ、競輪の世界で頑張ってんだな」って思ってもらいたいという。

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Q:野球選手と競輪選手の違いはどこにありますか?

野球をはじめとしたチームスポーツは、自分がいくら調子が良くてもさまざまな要因で試合に出られない時もあるますが、競輪はとにかく試合に出ることはできる。これは、アスリートとしては大きいと思います。頑張ることができる場は、チャンスは常にあるということですから。

競輪にはオフはないですし、なまけたら終わり。自分に厳しくいなきゃいけないというのはキツイですけど、すべてが成長につながりますし、大きなやりがいがあります。

Q:キャリアチェンジとしての競輪選手はおすすめですか?

はい。自分もそうですが、たとえばどこかを怪我して野球はできないけれどまだ勝負がしたいという人には、「頑張れる場所がここにもあるよ」というのは知ってもらいたいですね。でも、一度高速道路のバイトはしたほうがいいと思います(笑)。

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