100期の卒業生として、2011年にデビューした古性優作選手。2024年11月までにG1レースを通算8勝、選ばれた9人しか出場できない「KEIRINグランプリ」にも4年連続で出場を決めるなど、競輪界のトップオブトップとして活躍しています。

BMX選手としてジュニア時代から活躍していた古性選手は、どのように競輪選手になったのか。そして、トップ選手でいるための競輪との向かい方とは。

前後編でお届けするインタビューの前編です。

いかに自転車に還元できるかを考えて部活を選んだ

Q:BMX選手としてジュニア時代から活躍していた古性選手ですが、そもそも自転車との出会いはいつだったんでしょうか?

6歳の誕生日のときに、自転車が欲しいと親に言って買ってもらいました。
連れていってもらった自転車屋さんに1台だけBMXがあって、それを選びました。近所に大泉緑地という公園があって、そこで乗れるよって話を教えてもらったんです。見に行ってみたら、みんなジャンプとかしてるのを見てかっこいいなぁって。

Q:すぐにBMXでは結果はでた?

そもそもBMXの競技人口は少なかったというのはありますが、小学校から全日本で優勝することができました。父親がつきっきりで、スパルタで教えてもらってました。真面目に練習をすれば、結果が出るんだなという感覚でしたね。

Q:BMX、自転車は楽しかったですか?

最初はただただ楽しくて乗り続けていましたが、小学校の高学年くらいからスポンサーさんにもついていただいて、支援していただけるようになったんです。結果を求められているというか、苦しい部分もありましたね。

Q:中学の時はラグビー部に入られていたそうですね。

筋肉を鍛えるためにはどうすればいいか、ということを考えてラグビー部に入りました。いかにBMXに還元できるか、ということを考えて部活を選んだんです。

「手段」として目指した競輪選手

Q:高校時代はBMX全日本ジュニアで3連覇を果たしています。そこから、競輪選手を目指すようになったきっかけは?

高校を卒業してからは、アルバイトしながらBMX1本で頑張りたいと思っていました。でも、オリンピックに出るためには、海外を転戦してポイントを取らなくてはいけない。そのためには、アルバイトでは賄えないような金額が必要になってきたんです。

BMX選手だった西岡拓朗さんとか黒田淳さんとかが競輪選手になったのがちょうどそのくらいの時期だったので、競輪でお金を稼ぎながら、BMXをやっていきたいなという考えになりました。BMXでオリンピックを目指すために、正直に言えば「手段」として競輪選手を目指すことを決意したんです。

Q:BMXで十分な実績を積んだにも関わらず、適性試験で受験したことはなにか理由が?

西岡さんや黒田さん含め、BMX選手は適性試験を受けるっていうのがスタンダードみたいな感じでしたね。そういうものだと思っていたので、技能での受験はまったく考えなかったです。

Q:試験に向けて、どのような準備をしていましたか?

西岡さんから、自転車エルゴメーターで必要な数値を教えてもらっていたので、それを目標に頑張っていました。ただ、BMXのトレーニングと並行して、アルバイトもやって、という中だったので難しい部分もありました。

自転車に関しても、師匠にそろえてもらったという人も多いと思うんですけど、自分は人の助けをあまり借りたくなかったというか、迷惑をかけたくなかったんです。なので、自分でバイトしてビルダーさんに揃えてもらって、という感じでした。

とんでもない奴ばっかり

Q:見事一発で合格を果たし、実際に入所してみての感想は?

すごい人がいっぱいいるなと感じました(笑)。窓場千加頼だったり木村弘だったり、とんでもない奴ばっかりだなと。

Q:適性組として、専用のカリキュラムを受けていた?

そうですね。とはいえ小学校1年生くらいから乗り続けているので、適性組としてはおかしいくらいの感じでした(笑)。BMXもそうですし、中学校からマウンテンバイクに乗ったりしていたので、その経験や技術は要素は活きたと思います。

Q:ほかの候補生を見て“すごい”と感じたのは、具体的にどのような部分だったのでしょうか?

特に千加頼を見て、フォーム、体や自転車の使い方がほかの候補生とは何段階も違う感じがしました。千加頼のいいところをとにかく真似していましたね。

脇本雄太, 窓場千加頼, 古性優作, 決勝, ウィナーズカップ(G2), 取手競輪場

結果ではなく、長い距離を踏むことを意識

Q:養成所での生活はどうでしたか?

楽しかったですよ。でも、悔しい思いをすることが多かったです。やっぱり、一緒に走っているとレベルの違いというのは直にわかりますから。
それでも、養成所生活の中でメンタルが崩れたり、ぶれるたりすることはほぼなかったです。コツコツとやっていけば差を詰めていける、埋めていけるとは思っていました。

Q:在校順位でいうと真ん中くらい。タイムだけでなく、競走面でも苦戦した?

競走訓練では、長い距離を踏むことを意識していました。具体的には、先行回数1位で卒業できたらいいなと思って走っていました。

Q:「結果」を求めるのではなく、その先にあるものを見据えていた。

そうですね。打鐘から思いっきり踏んでどこまで持たせられるか、ということをずっと考えていました。
後半は、当時G1で活躍している選手をみて、セッティングをいじったりするようにもなりました。その過程で、思うように走れないような時期もありましたね。

高い意識を持って養成所生活を送ってきた古性選手。
華々しいデビュー直後に抱いた危機感とは?

後編は近日アップ予定です。