プロ野球選手として独立リーグでプレーした後、自転車競技未経験から競輪選手を志し、日本競輪選手養成所第129回生として入所した大村涼兼候補生。

1年目は適性試験に挑戦するも不合格。翌年、技能試験に切り替えて再挑戦し、見事合格を果たしました。
適性・技能の両方の試験を経験した大村候補生に、養成所入所までの歩みを聞きました。

野球選手を目指して独立リーグへ

大村涼兼

Q:野球においてのキャリアを教えてください。

中学校からずっと野球を続けていて、京都の佛教大学に進んだ後は滋賀の独立リーグ「オセアン滋賀ユナイテッド」に所属していました。その後は「茨城アストロプラネッツ」に移って、NPB入りを目指していたのですが、自分の実力では厳しいなと感じて……2022年の7月に退団をしました。

Q:その間、ほかのスポーツに興味を持ったりすることはなかったのですか?

まったく考えていなかったです。野球しかしてこなかったので、とにかくNPBに入りたいと思っていました。

Q:ちなみに独立リーグの選手は、普段どのように生活されているのですか?

人それぞれですが、給料は10万円ほどの選手も多いので、金銭面では苦労している選手が多いかもしれません。自分も、恩返しを兼ねてオフシーズンにはスポンサー企業で働かせてもらっていました。そこで貯金して、その貯金を切り崩しつつ給料とあわせて生活していました。シーズン中になると副業もNGなので、野球オンリーになります。最低給の場合は、家族の支援などがないと難しいかもしれませんね。

Q:独立リーグはそんなに厳しい環境なんですね。

はい。怪我をして練習生契約になれば給料も出ませんし、長く所属し続けられる場所ではないように感じます。でも、厳しいプロで戦うことを目指すには、良い環境だったと思います。

野球の道は断念。

でもプロアスリートは諦めたくなかった

大村涼兼

Q:競輪選手を目指すようになったのは、独立リーグを退団したすぐ後ですか?

最初は一般就職も考えて、翌年までは働いていたのですが、体を活かしてできる職業がないかなと考えて競輪という道に辿り着きました。独立リーグ時代、セカンドキャリア支援として競輪という道があることも聞いていましたし、野球から競輪に進んだ選手も多くいることも知っていたので。

あと1、2年は、プロアスリートを目指しても良いのかなと思ったのが競輪選手を目指すようになったきっかけです。

Q:具体的に競輪選手になろうと思い始めたのはいつ頃ですか?

最初に受験した年、2023年の夏頃でした。

どうやったら競輪選手になれるのか何も知らない状態だったなかで、当時神奈川支部の支部長でSNS発信を活発にされていた對馬太陽さん(神奈川・85期/現在は現役引退)に「競輪選手を目指したいです」と直接DMをしたんです。そうしたら、次の日に「川崎競輪場においでよ」という話をいただいて、僕の競輪人生は始まりました。

Q:夏に決意されたということは、試験までまもない状態だったのでは?

そうですね。願書の締切時期も何も知らなかったです。川崎競輪場に行ってはじめて、10月に試験があると知りました。
自転車のタイムでは絶対に受からないので、ワットバイクをメインに練習されている選手を師匠である福田知也選手(神奈川・88期)に紹介していただき、適性試験で受験する方向にしました。

“適性”で挑戦した初めての受験

大村涼兼

Q:適性試験で挑んだ一度目の受験では合格することができませんでした。

ワットバイクは結構数値が出せていたのですが、一次試験で不合格となってしまいました。ジャンプが苦手で……。
でも、師匠から「どのみち自転車でやっていく競技だから、技能試験で挑戦したら?」と話していただき、その後はすぐに技能試験に向けた練習に切り替えました。

Q:適性試験で落ちたことで、心が折れたりはしなかったですか?

野球をやっていた時の方が挫折が多かったですし、受験までの期間が短かったこともあり、最初から2年以内に絶対に合格するんだ、という気持ちでした。もちろん落ちたのは残念でしたが、気が引き締まったという感じです。

ここで受からないと自分に次はない

大村涼兼, 第1回トーナメント競走, 日本競輪選手養成所(JIK), 第129・130回生

Q:1年目の受験を終えた後は、どのようにトレーニングを重ねましたか?

師匠とも相談して、とにかく自転車に乗る時間を増やしました。厳しく指導していただき、周りの方から心配されるくらい練習していたので(笑)、かなりキツかったです。

Q:キツい練習を耐え抜くためのモチベーションは、どんなところにあったのでしょうか?

自分の年齢を考えても、2年以内に受かるという目標からも、次がラストチャンス。とにかく自転車に乗らないと力がつかないと思っていましたし、やるしかないという気持ちでした。
それから、野球において“最後までやり切れた”という感覚が持てていなかったことも理由のひとつかもしれません。

Q:追い込まれた環境だからこそ、がむしゃらに頑張れた。

血尿になったり、股が5箇所裂けて業務用のワセリン2箱を使い切るくらいの状態になったり、今振り返ってみるとすごい生活を送っていたなと思います(笑)。
でも、師匠に指導を引き受けていただいた時から、何を課されても絶対にノーとは言わないと決めていました。自分のためにたくさんの時間を割いてくれた師匠には本当に感謝しています。

不調でも合格できるレベルを目指して

大村涼兼, 第1回記録会, 日本競輪選手養成所(JIK), 第129・130回生

Q:技能試験で受験する方向に切り替えてからは、タイムは順調に出ていましたか?

じつは4月まではローラー中心のメニューで、バンクに乗ったこともなかったんです。
でも、バンクで乗り始めてからは順調にタイムを伸ばすことができました。試験で使えるギヤ比よりも軽い49×16で1000m・1分10秒を目標に設定していたのですが、7月頃にはそれを達成できました。

そこから49×15に変えて1000mで1分8秒台、ハロンでも11秒台を出せるようになりました。
先輩方の話によると1分12秒で一度壁に当たって伸び悩むことが多いと聞いていたのですが、ローラーでの練習が実を結んだのかなと思います。

Q:過去の合格者成績から、1000m・1分10秒を目標とすることも多いと思いますが、それを軽いギヤで出せるようにトレーニングしていたのですね。

師匠から「練習で1分7-8秒を出しておかないと、本番ではタイムが出せない」と言われていました。そのおかげで、試験にも不安がなかったです。

Q:バンクに乗るまでの具体的な練習も教えてください。

ワットバイクに2時間乗って、49×16で時速60㎞をキープしながらローラーに乗るというメニューをずっとやっていました。
初めはローラーに乗ることもできませんでしたが、最初は前輪を固定するもので慣らしていって、1~2週間くらいでトレーニングできるようになりました。

“適性”で入ることとの違い

大村涼兼, 第3回記録会, JKA250, 日本競輪選手養成所(JIK), 第129・130回生

Q:結果的に2024年の技能試験で見事に合格。生活面ではどのようにしていましたか?

実家から川崎競輪場に通っていたのと、兄姉の支えもありながら、貯金を切り崩して生活していました。家と競輪場の往復に終始して、遊びに行くこともなかったので何とかやっていけました。

Q:自転車に乗る時間を増やし技能試験で入所したことで、スムーズに養成所での訓練にも励むことができたのでしょうか?

正直に言えば、試験の前はタイムを出す練習をずっとしてきたので、人ともがく経験が不足しており、養成所に入ってからも苦労しました。
でも、適性試験で入った他の候補生を見ると、当然ですがまずは自転車の操作に慣れることに時間が取られてしまう。その意味では、技能試験で受験する道を選んで本当に良かったなと思っています。

大村涼兼, 第2回記録会, JKA250, 日本競輪選手養成所(JIK), 第129・130回生

Q:適性試験での合格者に向けた「入所事前養成訓練」もありますが、やはり自転車への慣れや自信は大きい?

そうですね。実際に適性試験で入った候補生に聞くと、最初はついていくの精一杯だった、という話も聞きました。ただ自転車に乗るのではなく、乗り方を追求するなど踏み込んだ話をするためには、技能試験で入ったほうがに良いだろうなと個人的には思いました。

Q:先日、“後輩”となる次回生の試験の結果が発表されました。残念ながら今回は不合格となった方もいると思いますが、最後にメッセージをお願いします。

今となっては、適性試験で1度落ちたあとに、1年間自転車に乗ってきたことが大きな自信に繋がっています。
もちろん適性試験の狭き門を突破するのはすごいことですし、挑戦し続けることも大事だと思いますが、自転車に乗ってきた時間の多さは、必ず養成所での訓練やデビュー後、より高みを目指すことに活きるはずです。今は自転車経験がない方でも、しっかりと練習を積んで技能試験で受験する、という選択肢も考えてもらえればと思います。

大村涼兼

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