【技能試験という選択肢】2度の不合格と大怪我を乗り越えて 130回生・吉田恵利候補生インタビュー
自転車競技未経験から競輪選手を志し、3度目の受験で日本競輪選手養成所第130回生として合格した吉田英利候補生。
1度目は適性試験に挑戦。その難しさを実感したことが、技能試験での合格を目指すきっかけになったといいます。
いくつもの試練を乗り越え、競輪選手としてのデビューを間近に控えた今、これまでの道のりを伺いました。
スポーツで食べていきたかった

Q:競輪選手になる前、何かスポーツはされていましたか?
高校までバドミントンをしていました。北海道の地区大会でベスト16くらいが最高成績だったのですが、だんだんスポーツ選手になりたいという夢を持ち始めて、高校3年生の時に初めて養成所を受験しました。
Q:高校在学中から、競輪選手になることを目指していた?
当時は競輪がどういうものか分かっていない状態でしたが、地元の函館競輪場には前もって話を聞いていました。
「自転車のトレーニングを積んで技能試験を受けた方がいい」とアドバイスをもらっていたのですが、当時はまだ“何がなんでも競輪選手に”という気持ちではなかったので、まずは適性試験を受けてみようと思い受験しました。もしそこで落ちて、悔しい気持ちが大きかったら、技能で再チャレンジすればいいと考えていました。
Q:それでも、受験するというのは大きな決断ですよね。
自転車もほとんど未経験ですし、自転車の組み立ても出来ない自分が受けて良いのかな……という気持ちはあったので、神戸暖稀羽選手(北海道・124期)からお話しを聞いたり、家族にも相談しました。同郷の佐藤乃愛選手(北海道・126期)が適性試験を受けると聞いて、私も受けてみようかなと思えました。
Q:適性試験に向けては、どのような準備をされていましたか?
ワットバイクで数値を出すトレーニングを積んでいました。それから、一次試験の科目についても、試験での計測は普段と異なることはわかっていたので、垂直跳の数値を測る機械を借りたり、動画で予習したり対策していました。でも、受験することを決めたのも直前だったので、数値を伸ばすのは難しかったです。1回目の受験は、養成所の試験がどんな試験なのかを知るという部分が大きかったですね。
自転車に乗りながら次を考えればいい

Q:佐藤選手と共に適正試験で受験した2021年は、残念ながら不合格となりました。
2人とも一次試験で落ちてしまいました。期間は短かったですが、自分なりに精一杯準備して臨んだので、やっぱり厳しい世界なんだなと実感したのを覚えています。
Q:適性試験に落ちた後は、すぐに立ち直って再び競輪選手を目指すことができたのでしょうか?
悔しい気持ちがしっかりあったので、まずは地元の函館競輪場が行なっている「ホワイトガールズプロジェクト」に所属させてもらうことにしました。ここでも、佐藤乃愛選手とは同期になりました。自転車に乗ったり、組み立てを練習したり、函館大谷高校の自転車競技部と一緒に練習させてもらうようになったのも、そのタイミングからです。
Q:競輪選手になるんだという意思を固めたわけですね。
正直、ホワイトガールズプロジェクトに入ったばかりのタイミングは、とりあえず頑張ってみようという気持ちでした。でもトレーニングを続けるうちに、自分が頑張った分が結果につながることを実感して、競輪選手になりたいという気持ちも強くなっていきました。
Q:適性受験もホワイトガールズプロジェクトも、佐藤選手の存在が大きかったのですね。
身近に同じ目標をもった人がいることで、1人で競輪選手を目指すより頑張れた気がします。
自分だけが落ちるという挫折

Q:技能試験で受験することを決めたのは、どんな理由からですか?
例年、女子は20人ほどが養成所に入所しますが、適性試験で入るのは5人ほど。受験倍率も、適性試験のほうが高いことはわかっていました。そう考えると、他の競技ですごく活躍していたレベルのアスリートじゃないと、受かるのは難しいんじゃないかと考えました。15人くらいある技能の合格枠の中に入ることを考えた方が、可能性があるんじゃないかなって。
Q:戦略的な判断からだったのですね。ですが、翌年も技能試験で不合格になってしまい、さらに一緒に道を歩んできた佐藤選手は合格、という結果となりました。
頭が真っ白になりました……すごくキツかったですし悲しかったです。
試験前から佐藤さんの方がタイムが出ていて、置いていかれてしまうような気持ちで焦っていました。一次試験は通過することができたのですが、それが現実になってしまって……。
家族の想いも背負って

Q:そこから立ち直って、もう1回受験しようと思えたのはどうしてでしょうか?
親から、「10代でデビューするより、何回も失敗を経験した方が強い選手になれる」という言葉をかけてもらったことです。実は、姉も競輪選手を目指していた時期があったのですが、結果的にその夢は叶わなかった。だから、家族の想いを背負っているという感覚もありました。
Q:競輪選手を目指している期間、家族の支えも大きかった?
はい。練習の合間を見てアルバイトもしていましたが、試験を受けるための旅費だけ自分で稼いでいました。実家暮らしだったので、生活面ではほとんど親に支えてもらいました。
週6日で練習漬けの日々

Q:結果的に約2年間、ホワイトガールズプロジェクトでトレーニングを続けて、2023年に通算3度目の受験で合格しました。トレーニングはどのようにことをされていたのでしょうか?
ほかの訓練生と同じく朝9時くらいから自転車に乗って、13時頃に練習が終了。その後、高校の自転車競技部の生徒たちが競輪場に来るので、そこに混じって練習をしていました。2部練習みたいな感じで、大体日曜日はオフ。自転車に長く乗ることが大事だと思っていたので、週6日でかなりの時間乗っていたと思います。
初心者でも練習できる環境を揃えてもらっていたことは、本当に大きかったと思います。ホワイトガールズプロジェクトには感謝しかありません。
練習中の大怪我。一度は歩くのも困難に

Q:ようやく合格を手にして、2024年に128回生として入所されましたが……
そうなんです。入所して3ヶ月した頃、訓練中に落車して、怪我をしてしまいました。強く頭を打ち付けて、次に気がついたのは夜の病院。しばらくは歩けないような状態でした。そのため、休学させてもらって、130回生としてあらためて入所。もう通算で1年以上、養成所にいることになります(笑)。
Q:その状態から、今走れている状態にいるのが驚きです。
医者からは、「選手になれる保証もない」と言われていました。でも、128回生もたくさん応援してくれて、リハビリを頑張ることができました。
それから、渡邉栞奈選手(静岡・122期)も落車で怪我をされて、同じ病院にリハビリに来ていたんです。そこで話をさせていただき、“戦っているのは自分だけじゃない”って思うことができました。
Q:大きな怪我をして、再び自転車に乗るのは怖くなかったですか?
怖くないです!“やってやる”みたいな気持ちが一番強かったです。
2度目の養成所生活

Q:何とか戻ってくることができて、養成所の訓練はいかがですか?
何とかついていけているという感覚ですが、2回目の記録会では白帽を取ることもできました。神山所長から、「自転車に長い時間乗ることが一番大事」と教えていただいたので朝練も週4~5日で行っています。
3回目の記録会では赤帽になってしまってとても悔しかったですが、もしかすると練習しすぎて、少し体に負担がかかっていたのかもしれません(笑)。
Q:今後、競輪選手を目指そうとしている方や、試験に落ちてしまった方へのメッセージがあればお願いします。
私は、養成所に入る前に自転車にしっかり乗る時間を作れたことで、入所後の練習についていくことができました。技能試験の方が合格枠も多いですし、養成所に入った後のことを考えても、自転車経験を積んで技能試験で受験するのが個人的にはおすすめです。
あとは悔しいと思える気持ちが何よりも大事。もし落ちてしまったとしても、諦めずに頑張ってもらえればと思います。
